昭和49年の闘争運動

昭和48年11月、沼津市が現施設用地(現在稼働中の焼却炉所在地)に新たな焼却場建設を公表。

その用地には昭和38年にし尿処理場、昭和41年には焼却場が建設されており、近隣住民は日夜不快な目にあわされてきたとして、清水町外原区民は焼却炉建設反対を表明。

清水町外原区は反対闘争委員会を設置し、昭和49年2月25日に清掃工場建設反対に関する申し入れ書を提出。

これ以降、10カ月に渡る本格的な反対運動が始まりました。

昭和49年11月14日まで清水町外原区と沼津市・清水町が折衝を重ねること四十数回に及び、その合意の成果として「覚書」が締結されました。

清掃工場建設反対に関する申し入れ書の提出~覚書締結までの主だった活動は以下の通りです。

・昭和49年3月10日外原区住民総決起集会を開催。住民総意としてのごみ焼却場建設反対を決議

・同年3月11日 建設反対の再申し入れ書提出

・同年4月4日 沼津市外原自治会はこれまでの焼却炉建設反対から態度を変更

 →沼津市から1世帯30万円の補償を提示され、建設に合意
  その際、「将来、新しい工場の新設・増設を当地区にいたすことは絶対しない」と約束

・同年7月 市・町当局から煙突の高さを当初の50mから80mに変更すると提案あり

・同年8月 清水町外原区の臨時総会にて闘争体制を再確認。

 →住民の中から現実的な判断も必要なのではないかという空気も出始める

・同年10月31日 清水町外原区闘争委員会はごみ焼却場建設同意にかかる要求骨子をまとめる

・同年11月9日 沼津市に要求骨子のまとめを提示

 →この中で、焼却炉撤去後は風致地区に戻し、自然公園化することを要求。

 →併せて、要求に対する回答は両当局、並びに、議会の変動があっても有効であることを要求

・同年11月13日 沼津市は上記要求骨子のまとめに回答。

  ①公害防止協定を締結する

  ②焼却炉は撤去後は風致地区とし、自然公園化する

  ③この回答は両当局、並びに、議会の変動があっても有効である

 →上記回答を以って、清水町外原区は焼却場建設に同意

・同11月14日 上記経緯を添付した「覚書」を締結し、反対運動は終結。

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