行政は覚書が有効であると認めている:平成11年基幹改良工事の説明会

行政の対応

平成11年、今の焼却炉の基幹改良工事に向けた説明会が開催されました。

この時、行政(清水町)の対応は現在とは真逆の対応で、清水町外原区役員へ「(覚書の)約束は有効です」と回答しています。

その際の経緯と詳細を説明していきます。

焼却炉の基幹改良工事とは?

平成11年の焼却炉の基幹改良工事とは、焼却炉を覆う建屋はそのままで、中身の焼却炉をすべて入れ替える工事でした。

これは、平成11年7月に制定されたダイオキシン類対策特別措置法により、平成14年11月までにダイオキシンの排出量を基準値以下にしなければならないという、法律に対応するための措置です。

基準値以下にできなければ可燃ごみの処理ができなくなるとのことで、清水町の生活環境課長が清水町外原区役員に対し、工事に向けた説明会を開催しました。

説明会の内容:覚書の約束は「有効」

焼却炉の基幹改良工事の説明会の内容ですが、清水町から重要な発言がなされています。

それは、「この施設(現在の焼却炉)が撤去されるときは、新しい施設は他に移転する約束は生きていると考えております」です。

すなわち、覚書の内容は有効であり、これを守ると言っています。

説明会の議事録を以下に示します。

説明会の議事録1ページ目
説明会の議事録2ページ目
説明会の議事録3ページ目

「覚書」って何??

そもそも、「覚書」って何でしょうか?

覚書は昭和49年に「今後一切、焼却炉を建設・増設しない」と沼津市が清水町外原区に交わした「契約」です。

当時の状況を少し遡ると、昭和48年に現在の焼却炉建設が計画され、それに対して清水町外原区は建設反対を表明しました。

これは、ただ単に「嫌だから反対」ではなく、それまでの苦難の歴史に基づいたものです。

昭和33年、沼津市は清水町外原区に隣接する上香貫にし尿処理場を建設しました。

さらに昭和41年、同地区に今度は焼却炉を建設しました。

この沼津市上香貫1ノ洞~3ノ洞は地形的に煙突からの排煙が留まりやすく、酷い時には煙突からの煙が地上に向けて吹き降ろすこともたびたびあったようです(次写真参照)。

このような状況下、清水町外原地区の住民は悪臭とハエに悩まされ続けてきました。

そんな中、新たな焼却炉建設の話が持ち上がったのです。

当然、清水町外原の住民は反対の狼煙をあげました(詳細はこちらのページ参照)。

約10カ月に渡る焼却炉反対運動の中で沼津市・清水町と四十数回の話し合いを行い、その中で様々な合意形成がなされ、その内容を「話し合い状況概略」という形で覚書に盛り込まれました。

そして、焼却炉建設の反対闘争は終了を迎えます。

話し合い状況概略には、「将来、1ノ洞、2ノ洞、3ノ洞には一切増設、新設をしない」「(沼津市・清水町と外原区が交わした)確認事項は、市長・町長等の変動があっても効力があると認める」と記載されています。

すなわち、当時の先輩方は沼津市の苦しい立場を理解し、忸怩たる思いであるが焼却炉建設には合意する。

ただし、悪臭・煙に悩まされることのないように公害防止協定を締結すること、そして、今後、二度とこの地に焼却炉を増設・新設しないとの契約を交わしたのです。

これが「覚書」であり、歴代の外原区長は大事に引き継いできました。

当然、この約束が破られるようなことがあってはならないとの思いと共に。

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